伊豆半島というのは、面白いところである。だいたい、この半島はフィリピン海プレートに乗っかってやってきて、ユーラシアプレートと北米プレートが接するところ辺りに南海からの襖を打ち込んだとされている。まさに地質学的にスローな時間の経過の果てに。狩野川という川は、どうやらその気を受けたかのように、北に開いたU字型の天城連山からの水を一身に集め、半島の北部中央部を北に向かって流れ、三島市と沼津市の境目付近で駿河湾に向かって流れの向きを変える。
(参考サイト)
白浜温泉の温泉・露天風呂のある宿・ホテル - じゃらん温泉ガイド
http://www.jalan.net/onsen/OSN_50366.html
横浜伊勢佐木町ワシントンホテル - じゃらんnet
http://www.jalan.net/yad379795/
武雄温泉の温泉・露天風呂のある宿・ホテル - じゃらん温泉ガイド
http://www.jalan.net/onsen/OSN_50413.html
源頼朝は、この狩野川のほとりのどこかで、源氏再興を志し、そして旗上げした。その騎馬の勢いは、やがてその後600年余りも続く武家政治の流れへと連なっていった。頼朝は韮山から三嶋大社へ、毎日馬を走らせて再興を祈願したと言われている。その三嶋大社の裏手北側へと境内の外から自転車で回れば、硲蒼とした木立の参道から、武者の駆る駒の蹄の音と、彼らが連れて来た南からの力が吹き抜けるような思いがする。やがて武家政治がその終焉に近づいた頃、わが国に開国を余儀なくさせたペリーの黒船は、同じ伊豆半島の下田に錨を下ろし、交渉を行なった。ロシアのプチャーチン提督の乗る船もまた下田に入港したが、安政大地震の津波による被害を受けた後、回航の途中で沈没、西伊豆の戸田で別の船が再建された。これは日本の近代造船技術に少なからぬ影響を与えたと言われている。いずれにしても、開国という道筋の重要な伏線が、伊豆半島を通っていったのは間違いない。